新しい年度を迎えて
今年もまた桜咲き舞う春がやってきました。長い冬を乗り越え新たな生命の息吹を生み出す、まさに新鮮な季節の到来です。私たちのまわりでも、新入生や新入社員たちが胸はずませて新たな社会へと飛び立つ時期であり、周囲にはエネルギーが満ち溢れています。
日本空手道錬聖会も昨年度の10周年を経、本年度は新たな10年の第一歩、11年目を迎えます。
心新たに新年度の計画を進めて行きたいと思います。
「初心忘れるべからず」、これは一般的に世阿弥の言葉として知られています。しかし、当人の著書
「花鏡」には次のように表現されています。
・是非とも初心忘るべからず(修行を始めた頃の初心)
・時々の初心忘るべからず (成長の各段階における初心)
・老後の初心忘るべからず (現役を退いた際の初心)
修行を始めた頃の素直な気持ちを忘れ、慢心して修行を怠ると、折角積み重ねた技量が初心まで低下してしまう。また、成長の段階で壁にぶつかったとき、愚直なほどの努力を忘れれば、初心時に味わった屈辱を再び味わうことになる。つまり、初心とは、本来、戻ってはいけない各段階のスタート(0)時点を指しているのです。だから、そんな惨めな状態を決して忘れてはいけないということです。
人の生命には限りがあり、“道” を究める道のりは果てしないのであって、人が“道” に挑む限り、どこまでも「初心忘るべからず」だということでしょう。
空手道は来る東京オリンピックを目指し、益々、スポーツ化するでしょう。しかし、私たちが目指しているのは、本当にその変質した空手なのでしょうか? 形だけ、スピードだけの世界は、肉体の老化と共に過去に積み上げたものが脆くも崩れ去ります。まさに初心に戻ってしまうということです。
一方、空手道の本質である突き・蹴り・受けの原理を基本・形・組手の各練習で身体に刷り込まれたものは、修行を継続しているかぎり、年相応に積み上げて行くことができます。それが“道の修行” ではないでしょうか。そしてその修行の結果は、当然、スポーツ化した空手でも「ほんものの強さ」を発揮するのです。
2015年度も、錬聖会はお互いに切磋琢磨して、みんなで“道” をのぼって行きましょう!
2015年4月1日
日本空手道錬聖会 会長 森 拓生